• 鏡越しの会話。別所温泉と塩田のこれから。

    25年後のまちづくりに必要な「回路」の話

    床屋さんでの会話から

    先日、ポスター用の写真撮影を前に、いつもの床屋さんに足を運びました。そこで偶然、隣り合わせたのは地元の温泉旅館を経営する社長さん。鏡越しにうかがったお話しの中に、私の知らない現場の切実な思いと歪みを突きつけられました。

    一つは、私たちが温泉を利用する際に納める「入湯税」のあり方です。制度上は、温泉地の環境整備や観光振興のために使い道が定められた「目的税」であるはずが、実態としては一般財源のように扱われ、温泉の維持管理といった、肝心の現場へ還元されることはない、といったお話しでした。徴収する側の理屈と、現場を守る側の苦渋。その乖離は、想像以上に深いものでした。

    エンジニアの目から見た「欠陥サイクル」

    さらに重く響いたのは、市政のあらゆる場面でPDCAのサイクルが回っていない、という指摘です。計画(P)を立て、実行(D)はする。しかし、それがどのような成果を上げたのかを検証(C)し、次の改善(A)へと繋げるプロセスが抜け落ちている。いわば「やりっぱなし」の連鎖です。

    工作機械の制御設御に携わってきた私にとって、フィードバックのないサイクルはシステムの破綻を意味します。不具合があれば原因を特定し、回路を修正する。その当たり前のプロセスが行政の現場で機能していないことが、今の閉塞感を生んでいるのではないか。そう感じずにはいられませんでした。

    「ゆっくりとした死」か、それとも「再生」か

    ゆっくり死んでいく都市は、その変化が緩やかだから誰も気づかないのだという示唆もありました。新幹線が開通して以降、便利さの裏側で、上田のまちは少しずつ、確実に活力を削ぎ落とされてきた停滞の27年だったのではないか。新幹線により、かつての賑わいを奪われた小諸市が、今、その地形を逆手に取った「坂のまち」として独自の個性を放ち始めているのとは対照的です。

    私が生まれた昭和44年(1969年)は、戦後から25年ほど経った頃でした。あの頃の25年は、まさに無からの劇的な復興と変化の時代でした。現在から25年後、このまちはどうなっているでしょうか。

    山田の景色と、これからの25年

    今日、西塩田の山田地区を歩きました。思わず足が止まるほどの美しい見晴らし。その一方で、静かに増え続ける空き家。この勿体ないほどのコントラストが、今の地元のリアルです。 農作業中にお話を伺った方は震災を機にこの地で暮らすようになり、ようやく最近になって住所を移されたそうです。

    別所温泉と塩田。この愛すべき地元が、ただ静かに消えていくのを待つだけの場所であってはなりません。私は決して傍観者ではなく、一人の当事者として、システムの不具合を正し、25年後も誇れる景色を残していきたい。この地で活躍している人や団体を横断的に繋ぐ緯糸(よこいと)としての機能を担っていきたい。改めてその確かな決意を胸に、明日も歩いてまいります。

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  • 企業城下町という価値を考える

    隣の芝は青く見える。芝は勝手には生えてこない。手入れも必要。

    農村にあるグローバル本社

    ミシン針の世界シェアトップ、オルガン針株式会社さんの本社は私が暮らす西塩田にあります。

    一昨日、とある会合に参加しました。出席者5人というこぢんまりとした飲み会でしたが、私以外の4人は皆、オルガン針さんに縁のある方々。知らなかったのですが、その先輩の方々は海外の工場の立ち上げや市場調査など、豊富な海外経験をお持ちでした。

    1970年代に九州へ新工場ができた際には、現地から研修に来た方が西塩田の女性と巡り会い、婿入りされるケースも多かったようです。実際、ご近所にも何組かいらっしゃいます。かつて農村であったこの地にグローバル企業の本社があるということ。そのことが、地域に広い視野と人の流れをもたらしていたことを実感する夜でした。

    団塊の世代が支えた地域の熱量

    往時の地域の賑わいについても話が及びました。通勤時間帯には路線バスが数珠つなぎに行き交い、最盛期には1000人を超える地元の人が勤務していたそうです。会社で腕を磨いた職人さんが独立し、あちこちに協力工場が生まれました。

    バリバリ働いた団塊の世代の方々は、地域の行事でもその力を発揮されていました。職場の仲間との阿吽の呼吸で、地域の運動会やお祭りを運営する。しかし今、どの地区でも運動会は行われなくなりました。老舗食堂の閉店や、地域のイベントの縮小を目にするたび、かつて地域を支えていた世代の偉大さと、かつての西塩田の元気が失われていく寂しさを感じずにはいられません。

    若者が地元で働けない、という現実

    私自身は高卒で市内の工作機械メーカーに入社し、昨年末に退職しました。工作機械もまた、裾野の広い産業です。かつては近所に多くの協力工場がありました。

    しかし、私が政治を志す大きなきっかけとなった出来事があります。私の家のすぐ近くに住む、工業高校の後輩にあたる若者が、私が勤めていた会社へ新卒で入社してきました。喜ばしいことである反面、私はショックを受けました。私の勤め先は、今では上田を離れた場所にあります。上田には、彼の知識や技能を活かせる勤め先がないのか。福利厚生が厚く、技術も磨ける。そんな魅力的な企業が地元にあれば、彼は長い通勤時間をかけず、もっと豊かな時間を過ごせたかもしれないのです。

    企業城下町を再び。25年先を見据えて

    私の妻は茨城県日立市の出身です。義父は日立製作所で長く働き、義弟も関連会社に勤めています。地域に核となる企業が存在し、雇用と経済を支える企業城下町。これを幸運と捉えるか、政治と地域の働きかけで実現可能な構想と捉えるかで、未来は大きく変わります。

    長距離通勤や遠隔地との取引を減らし、地元で働き地元で生産することは、CO2削減という観点からも理にかなっています。かつてのような活気を取り戻すことは、夢物語でしょうか。25年先のあるべき姿として、再びこの地に力強い企業城下町を築く。そのために、市政が明確な目標を持って企業誘致や産業支援に取り組むべきだと、私は強く思うのです。

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    今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
    寒い日が続きますが、どうか暖かくしてお過ごしください。

  • サイパン島での体験

    戦没者遺骨収集への取り組みについて紹介します。

    私の祖父は第二次世界大戦のさなか、激戦地であったサイパン島で戦死しています。

    過去に「note」というウェブサイトで紹介させていただいた内容の転載となりますが、一昨年のちょうど今ごろに行ったサイパン島での遺骨収集について紹介させていただきます。

    転載元の記事は、こちらにあります。

    令和6年度 マリアナ諸島現地調査第5次派遣メンバー

    私は日本遺族会より派遣され、令和6年1月28日から2月10日までの2週間、サイパン島に滞在し、戦没者の遺骨調査を行いました。今回の派遣団は日本遺族会より2名、日本青年遺骨収集団より大学生2名、社会人1名、国際ボランティア学生協会より大学生1名の他、日本戦没者遺骨収集推進協会、厚生労働省の担当者、合わせて9人。そこへ現地の作業員を加えたチームで調査にあたりました。

    結団式・打ち合わせ

    これは出発前、成田空港の会議スペースで今回の調査先に関する情報提供を受けているところです。自然環境、特に野生の動物や植生の保護についてもレクチャーを受けましたが、このときはまだ、現場の厳しさを想像できていませんでした。

    今回の調査対象

    現場は、民家の裏山でした。ジャングルをかき分け15分ほど歩いた先にあった小さな洞窟です。

    戦場へ足を踏み入れたことを実感

    通路の奥には空間が広がっています。この通路にはたくさんの焼けた地下足袋、錆びついた小銃。奥の空間に居る人々を必死で守る姿を克明に想起させる遺構です。

    ここでの主要なご遺骨は既に持ち出されていたと思われる

    80年の歳月で空間の中の様子は当時とだいぶ変わったようです。天井が崩れ落ち、その瓦礫の下にご遺骨は眠っています。

    それでも瓦礫の中から骨片や遺留品は見つけることができる

    瓦礫の中から小さな骨片ひとつも見逃さないように、土砂をフルイにかけているところです。ぴかぴかの金歯、赤ん坊の肩甲骨、美しい指輪、壊れた腕時計、赤い革靴の欠片、小さな品々が訴えかけてきます。私はここで、初めて戦場を実感しました。

    祖父は弾薬装填員として働いていたとの記録が残る

    調査の合間に、祖父の勤務地「ラウラウ砲台」へ案内してもらうことができました。厚生労働省に残っている記録によれば、私の祖父寅男は、この島に1年ほど滞在していたようです。どのような最期だったのか、いつ、どこで亡くなったのか、正確な記録はなく、玉砕の日である昭和19年7月8日を命日としています。

    洞窟の近くに、その洞窟に向け置かれていた小さなマリア像

    今でも、この世界のどこかで、民間人を巻き込むような戦いが続いています。80年前は私の祖父も戦火の中にいたわけですが、遠い過去の出来事として、これまでは自分事として捉えることはできていませんでした。戦没者遺族のひとりとして、今後もこうした調査に携わっていきたいし、当時のことをもっと知らなくてはいけないと強く自覚しました。そして、体験してきたことを何らかの方法で今後、表現していきたいと考えています。

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    最後までお読みいただき、ありがとうございました。

  • 地域を歩いて見えた、「暮らし」の現在地

    知ってはいても、感じたことのなかった世界の話

    昨年末に会社を辞め、通勤のない生活が始まって3週間が経ちました。通勤に使っていた時間がまるごと自分のものになるかと思いきや、自治会やまちづくり協議会、そして新しい仕事への準備と、思いのほか慌ただしい日々を過ごしています。

    そんな中、住宅地図を片手に近所を歩き、これまで接点のなかった方々とお話しする時間を作っています。西塩田、手塚という同じ地域に住んでいながら、お顔とお名前が一致しない方、初めて言葉を交わす方がこれほど多いことに驚いています。

    見えてきた「日中独居」と、地域の温かさ

    平日の日中、家族が仕事に出ている間、高齢者のみで過ごされている世帯が多いことは知っていましたが、実際に歩いてみるとその多さを肌で感じます。統計によれば、現在65歳以上の高齢者がいる世帯のうち、半数以上が「単独世帯」か「夫婦のみ」だそうです。三世代同居が当たり前だった時代から、家族の形は大きく変わりました。

    あるお宅でお話を伺うと、私が消防団にいた頃の先輩のご実家でした。その先輩は毎朝、出勤前にご実家の様子を見に来ているそうです。「鍵を開けるために寒い中、玄関まで出なきゃいけないから困るんだよ」と、その方はなかば冗談めかしながら、しかしとても嬉しそうに話してくださいました。

    この集落のお年寄りは、お年のわりにお元気な方が多い印象です。家の中での移動に歩行器を使われている方もいらっしゃいますが、耳が遠くて会話が難しいという方には一人もお会いしませんでした。聞けば、ご近所同士でお茶を飲んだり、頻繁に行き来があるとのこと。こうした日常のコミュニケーションが、心身の健康を支えているのかもしれません。

    「孤独死」の現実と、現場の対応力

    一方で、昨日ある自治会長さんから伺った孤独死の話は、地域のもう一つの現実を突きつけるものでした。新聞が2日分たまり、夜も電気が点いたままになっていることに近所の方が気づき、発覚したそうです。マニュアル化などされていない有事の事態に対し、その自治会長さんが臨機応変に、かつ責任を持って対応された様子を伺い、その役割の重さと行動力に深く感銘を受けました。

    これからの「幸せな暮らし」を考える

    会社という組織を離れ、地域を歩くことで、「高齢化社会」という言葉の本当の意味を実体験として突きつけられています。核家族化はすでに文化として定着し、すぐに時計の針を戻すことはできません。平均寿命が延びたことで、退職後の人生はかつてより遥かに長くなっています。

    かつて家族が同居し、家庭内で完結していた互助の機能が薄れた分、それを補うための社会保障コストは増大し続けています。日本の社会保障給付費は、平成2年度の約47兆円から、令和4年度には約134兆円へと、この30年余りで3倍近くに膨れ上がっているといいます。家族で支え合っていた時代には発生しなかったコストが社会全体にのしかかっている、それが現代の生きづらさの一端にあるのかもしれません。

    しかし、制度やお金の問題以前に、私たち一人ひとりの「生活に対する考え方」や「近所との関わり方」ひとつで変えられるようにも感じます。誰もが取り残されず、幸せに暮らせるヒントは「お茶飲み話」のような関係性の中にあるのではないか。そんなことを考えながら、私が暮らしている地域を歩いています。

  • 母と祖母の話を聞く

    戦中〜戦後を生きた女性たちの話

    昨日と一昨日は、母が生まれ育ったまちの方々とじっくりお話しする機会に恵まれました。中学時代の同級生や幼馴染、いとこなど、母をよく知る方々から、これまで聞いたことのなかった「母の物語」を伺うことができました。

    戦中生まれの母。戦後間もない混乱期を生きてきました。今では耳にすることの少なくなった「母子寮」という言葉や、戦争未亡人が珍しくなかった当時の社会情勢。現代より不自由な時代だったかもしれませんが、「みんな一生懸命で、心は豊かだった」という言葉が印象的でした。

    裁縫を家業とする塩入家へ嫁ぐにあたり、母は市内の仕立て屋さんで裁断の修行も積んだそうです。その後、結婚して東京の洋裁店で働くようになると営業もこなすように。飛び込みで入ったクラブのママのために仕立てた一着が評判となり、そこから口コミでお得意先が増え、大いに繁盛したのだと聞きました。

    母方の祖母は、初孫である私をその手に抱いた数カ月後に亡くなってしまいますが、やはり働き者のかあちゃんとして慕われていました。まさに家族のため身を粉にして働いたひとだったのだと思います。

    父方の祖母の話にも及びました。戦争未亡人であった祖母は、東京を焼け出された塩入一家を西塩田、手塚の実家に招き入れてくれた、塩入家にとっての大恩人です。まちの食料品店で魚売りとして働いていた祖母の姿は、私の幼心にも懐かしい記憶として残っています。

    今回は何だかまとまりのない話になってしまいましたが、いろいろな方からこのようなお話を伺えたことがとても嬉しく、書き残しておきたかったのです。お目汚し失礼いたしました。

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  • 「入所待機問題」を知る

    ひとと話して、初めて認識した極めて深刻な問題

    工作機械メーカーで技術屋さんをやっていたときは、自身の経験をもとに積み上げてきた知見から、装置や機器の仕様に対して適用可能な解決策を検討し、実装する仕事をしていました。それが「経験バイアス」と言われようが、実体験に勝る知見はないと信じ、根拠のある自信として、解決策を半ば強引に提案することもありました。

    しかし、これから携わろうとしている分野においては、圧倒的に知見が不足していることを今日も実感しました。生成AIのおかげで、不足した知識を付け焼き刃的に補うことは可能となっていますが、人との会話の中でそれが露呈してしまう場合は、素直に勉強不足を告白し、課題として持ち帰らせていただくことにしています。

    特別養護老人ホームの入所待機問題

    今日、お話しをさせていただいたある方のご主人は、認知症を患い現在は施設へ入所されているとのことでした。なんでも「空きが無い」とのことで、隣の市にある施設への入所を余儀なくされており、顔を見に行くことも難しいとのことでした。「近くの施設へ入ることができたらいいのに」というその方の切実な声を聞き、問題の深刻さを初めて認識しました。

    入所を待っている人の数は、10人や20人ではありません。ひとつの施設あたり、100人から200人もの方が待機しているようです。この中には、複数の施設へ重複して申し込みをしている方や、将来のために予約的に登録している方も含まれるとのことですが、それにしても需要と供給のバランスが合っていないように感じました。

    人材不足への対応はどうすれば?

    現在の状況を生成AIにたずねると、次のような回答が返ってきました。

    • 賃金を上げたいが、国民の保険料負担が増えるので上げられない。
    • 外国人を呼びたいが、円安などで選ばれなくなっている。
    • 人手が足りないので、今いる職員の負担が増してさらに辞めていく。

    この「三すくみ」とも言える八方塞がりの状況を打破する特効薬はなさそうです。しかし、だからといって手をこまねいているわけにはいきません。私たちに何かできることがあればやってみたいです。

    地域包括ケアシステムの構築

    施設が満杯なら、住み慣れた自宅や地域で、医療・介護・生活支援を一体的に受けられる仕組みを強化するしかありません。これは行政任せにせず、近隣の見守りやゴミ出し支援といった、地縁団体での互助が必要不可欠です。もちろん、住民の善意だけに頼るのではなく、そこに行政のしっかりとしたバックアップがあって初めて機能するものだと考えます。この分野に携わる知人もいるので、いちど話を聞いてみます。

    フレイル(虚弱)予防

    そもそも介護を必要としない、あるいは必要となる時期を少しでも遅らせるための「健康な体づくり」ができれば、元気な高齢者がそのまま地域の担い手となり、支える側へと回ることができます。 実際に、こうした活動に積極的な先輩がおり、改めてその方の功績を認識するところです。

    では、私に何ができるか

    工作機械メーカーのエンジニアとして、私は「現場の実体験」を何より大切にしてきました。これから挑戦しようとしている新しい分野においても、机上の空論ではなく、実際に地域の体操教室に参加したり、自治会が行う独居世帯の見守り活動に関わることで、現場の「生きたデータ」を肌で感じたいと考えています。

    ここ西塩田の手塚に展開されている支え合いの仕組みと、健康づくりの活動は、私にとってまさに「生きた教材」です。

  • 水道の広域化を考える

    今こそスマート化のチャンス

    水道の使用量は、検針員さんが一軒一軒歩いてメーターを見て回る。そういうものだと、皆さんお思いかと思います。しかし、電気はどうでしょう。昔は検針員さんが歩いていましたが、今ではまったく見なくなりましたよね。遠隔で検針を行えるスマートメーターが普及した効果です。

    電気はすでに「100%」、水道は「1%未満」

    中部電力管内では、2023年3月末までにスマート化100%を達成しました。30分ごとの電気使用量が自動で送られ、効率的な発電計画と、人海戦術の検針廃止を実現しています。一方で、水道はどうでしょうか。全国の普及率は1%にも満たないと言われています。電気と比べ、水道のIT化は周回遅れどころか、まだスタートラインにも立てていないのが現実なのです。

    水道は土の中にあり、電源も取れないからスマート化は難しいと思われるかもしれません、

    技術の壁はもうない

    私がイギリスで暮らしていた頃、すでに欧州では水道のスマート化が進んでいました。さらに近年の技術革新は劇的です。LPWA(省電力・広域通信)という無線技術の進歩により、地中のメーターも内蔵バッテリーだけで長期間(メーターの有効期間である8年など)稼働させることが可能になりました。技術的にはもう、水道も電気と同じように自動検針ができる時代になっているのです。

    人件費のかからない検針。電気は既に実現しています。

    なぜ普及しないのか?

    技術があるなら、なぜ導入しないのか。答えは単純に、コストです。地中にあるメーターを交換するには、電気のメーター交換より多大な時間と労力が必要です。人口が減り、水道料金収入が先細りしていく中で、単独の自治体予算だけで市内全域を最新鋭に入れ替えるのは財政的に困難。「便利にするから水道代を上げます」では、市民の方も納得できないでしょう。

    「広域化」というチャンス、期限は令和16年

    「上田長野地域水道事業広域化基本計画」から「案」の文字が取れ、広域化がいよいよ進むことになります。国は広域化を強力に進めるため、「いま決断するなら、設備投資にかかる借金を国が実質半分近く肩代わりしますよ(交付税措置)」という、強力な財政支援を用意していますが、この支援には令和16年度までという期限があります。私は、この「国の財布」が使えるタイミングを逃さず、スマートメーターへの更新という未来への投資を実現すべきだと考えています。

    「構想」から「設計」する段階での監視が大事

    商品開発に置き換えると、今は市場調査を終え、新商品の構想が練り上がった状況です。この商品に使う機器の選定、仕様の洗い出し、ここがいちばん大事なところで、技術者としての醍醐味の部分です。

    計画書にある「DXの推進」という言葉一つとっても、技術者の視点で見ればリスクがあります。「ベンダーロックイン」ということばをご存知でしょうか。システムの核心部分に特定のメーカー独自の規格を採用してしまい、将来の修理やシステム改修費をそのメーカーに言い値で請求され続ける、いわば「囲い込み」のような状況のことをいいます。メーカーの技術者という立場であれば、あえて囲い込みで利益追求する発想になりますが、市民の立場では囲い込みに遭わないよう監視しなくてはなりません。

    美辞麗句の中に、ベンダーの思惑を読んでしまう技術者の性(笑)

    コスト削減やスピードアップを急ぐあまり、災害時に本当に必要な水圧や水量を確保できる設計になっているか、そうした点での監視も必要です。

    「AIで効率化」といった耳触りの良い言葉の裏で、市民生活に不利益な仕様が紛れ込まないか。これから詳細なお金の使い道が決まっていく今だからこそ、私は技術者の視点でその中身を厳しくチェックしていきたいと考えています。

  • ヒューマンエラーと人手不足は技術で解決できる

    公民館から「30トン」の水が消えました

    衝撃の年明け第一報

    私は自治会の会計を担当しています。 電気の契約アンペア数を見直したり、基本料金のかかるガスを一時的に中断したりと、実は見えないところでこまごまとした節約も実践しています。

    そんな私が年明け早々、公民館の会計さんから受けた水道の検針に関する報告に衝撃を受けました。 「そういえば検針員さんが歩いて回っていたなぁ、寒い中大変だなぁ」と思っていた矢先のことでした。

    いつもは使用量「0」、つまり基本料金だけ支払っている公民館(分室)で、今回は30立方メートルも回っていたとのこと。 メーターの回転は止まっており、漏水の可能性は低いとのことですが、それでも30立方メートル(30トン!)という量は、一般的な4人家族が生活する約1ヶ月分の水量に相当します。 これだけの水量が、知らぬ間に流れていたことになります。

    原因は恐らく、冬場特有の「不凍栓(水抜き栓)」の操作ミスか、蛇口の閉め忘れによるものでしょう。 過去にも冬に同様のことがあったそうです。

    アナログ管理が招くリスク

    ヒューマンエラーは誰にでもあります。私がここで問題だと感じたのは、30トンの水が流れ切るまで、誰も気づけなかったという仕組みの方です。

    現在の上田市では、検針員さんが2ヶ月に1回、一軒一軒歩いてメーターを見に来てくれます。 逆に言えば、最大2ヶ月間は、異常があっても誰も気づかないのです。

    海外にはすでに解決策があった

    イギリスに駐在していた当時、仕事先の工場では水道メーターの部品(ケース)を製造していました。 それはフランス製のメーターだったのですが、すでに無線発信機が内蔵されており、検針員が敷地に入らなくても、離れた場所からデータを読み取れる仕組みになっていました。 「さすが先進国は違うなぁ」と強烈に印象に残っています。

    地中には発信機を備えた計量器

    ヨーロッパでは15年以上も前から、こうした「スマートメーター」の普及が始まっていたのです。当時より電源や無線通信が格段に進歩した今では、リアルタイムの状況監視も可能になっています。

    いま公民館にスマートメーターが付いていたら、「深夜になってもメーターが回り続けている」というデータが即座に飛び、翌日には「水漏れしていませんか?」と利用者へ連絡を入れることもできたはずです。 30トンもの水を、みすみす捨てることもなかったでしょう。

    テクノロジーで水道を守るために

    寒い中を一軒一軒ご苦労さまです

    私がイギリスで「過去のもの」として見てきた人力検針が、令和の上田市ではまだ「現役」です。 雨の日も雪の日も歩いて回る検針員さんには感謝しかありませんが、人口減少が進む中、いつまでも人に頼るこのやり方が持続可能だとは思えません。

    大切な資源である水と、私たちが支払う水道料金を守るために、根性論ではないテクノロジーの導入が必要です。

    そして、こうした最新技術への投資を行う体力をつけるためにこそ、今議論されている「水道の広域化」という視点が重要になってきます。

    次回は、この「水道の広域化」について、エンジニアの視点からもう少し掘り下げてお話ししたいと思います。

  • 消費税17.5%の国で暮らした話

    それでも、税金高いなぁと感じることはありませんでした。

    英国で感じた「暮らしの豊かさ」と税のメリハリ

    前回に引き続き、私がイギリスで暮らしたときの話です。今回はもう少し、私の個人的な生活実感、特に「日々の暮らしとお金」についてお話ししたいと思います。

    私がイギリスのバーミンガム近郊で生活していたのは2008年から2009年にかけての1年間ほどです。当時の暮らしで一番衝撃を受けたのが、現地の消費税(VAT)の仕組みでした。

    2008年7月 初めての買い出し

    17.5%の衝撃、でも生活は苦しくない?

    イギリスやヨーロッパといえば、消費税が高いイメージがありますよね。現在、イギリスの標準税率は20%ですが、私が暮らしていた当時も標準税率は17.5%(経済対策で一時的に15%)でした。当時の日本の消費税はまだ5%。レシートを見るたびに「日本の3倍以上か……」と、財布からごっそりお金が減っていくような感覚に襲われたのを覚えています。

    ところが、実際に住んで生活に馴染んでくると、不思議とお金に対するストレスが少ないのです。なぜなら、イギリスの税制には驚くほどハッキリとした思想があるからです。

    「生きるために必要なもの」は課税されない

    端的に言うと、生きていくために必要なものには課税されません。スーパーで買う野菜や肉などの食材は税率0%。知的な生活に不可欠な本や新聞も0%。通勤、通学に必要な公共交通機関の運賃も非課税です。

    自炊をして、本を読んで勉強して、週末には電車で小旅行……そんな生活をしている限り、高い税金をほとんど払わずに済むのです。これは日本の軽減税率のような数パーセントの差ではありません。「課税(標準税率)」か、「非課税(ゼロ)」か。この差は、日々の暮らしへダイレクトに響きます。

    さらに驚いたのが、「子供服」も非課税であること。すぐに体が大きくなり、買い替えが必要になる子供の服は贅沢品ではなく必需品という扱いなのです。私自身には子育ての経験はありませんが、社会全体で次世代の成長を支えるという、先進国としての強い意志を感じたことを覚えています。

    寒い冬を支える、光熱費は「5%」

    イギリスの冬は長く、寒く、そして暗いです。そこで徹底されているのが、電気やガスといった家庭用エネルギーへの配慮です。ここには軽減税率として、5%の税率が設定されています。どうでしょう。「生きるための配慮」を感じませんか?

    ビスケットのチョコは「贅沢」な課税対象?

    課税の線引きもユニークです。例えばお菓子。素朴なビスケットや板チョコは食料品として非課税ですが、これがチョコレートでコーティングされたビスケットになると贅沢品とみなされ、標準税率がガツンと課税されます。

    日本ではテイクアウト(税率8%)とイートイン(税率10%)の差が話題になりますが、イギリスではさらに強烈なメリハリがあります。店内で食べると「外食サービス」なので標準税率。冷たいサンドイッチを持ち帰るなら食料品として非課税ですが、温かく調理されたハンバーガーであれば、持ち帰りであっても「ケータリング」として標準税率になるのです。

    イギリスの代表的な外食「サンデーロースト」

    税のメリハリが、暮らしの豊かさを作る

    生きるための食料は0%、贅沢を楽しむ外食や加工品はしっかり課税。この制度が何をもたらすかというと、自然と家での食事の時間が増えることになります。日常はスーパーで非課税の食材を買い、家で料理を作って食べる。これが結果として、家族の団らんを生み、健康的な食生活にもつながります。

    お金をたくさん持っていなくても、知恵と工夫で、十分に豊かで文化的な暮らしができる。そんなことを肌で感じたイギリス生活でした。生きるために大切なことは何か、という視点を持った税のあり方。イギリスでの日々を思い出すたび、そんなことを考えさせられるのです。

    税制のような大きな話は国会議員の仕事かもしれません。でも、海外にはこういう仕組みがあって、そのおかげでこんなふうに暮らせるんですよ。日本でも見習うべき点があるのでは?という提言なら、私でもできると思います。

  • 「直して住む」を、当たり前の豊かさに。

    快適な空間へとリフォームされた牛小屋が教えてくれた、あるべき「家の未来」と空き家の現実

    今日、ある支援者の方のご自宅を訪問する機会がありました。案内されたのは、かつて牛小屋だったという建物をリフォームした空間。そこは事務所兼応接間として生まれ変わり、木の温もりが漂う、とても居心地の良い場所でした。

    牛小屋が生まれ変わった「集う空間」

    「ようこそ」と迎え入れてくれるその空間は、単なる建物以上に、人が集い、語らうことを待ち望んでいるかのような温かさを持っています。私の家は手狭で、残念ながらこのような余裕のある空間を持つことはできません。正直なところ、憧れます。

    都市とは異なる、中山間地ならではの空き家問題

    こちらの集落にあるかつての市長さんのお宅も、その隣にある私の同級生の実家も、今は住む人がいません。ときどき人が来て、風を通すような空き家は問題ないのですが、そうした管理が行き届かず、人の気配がまったく消えてしまった空き家は、タヌキやハクビシンといった獣たちの格好の隠れ家になってしまうそうです。そこで繁殖した動物たちが周囲の田畑を荒らし、地域に深刻な被害をもたらす。これはアンケートの数字だけでは見えてこない、現場の切実な痛みでした。

    いっそ更地にしてしまえばいいのに、そう思うのは簡単ですが、現実はそう単純ではありません。話を聞けば、解体には500万円もの費用がかかることもあるそうです。さらに、そこには日本の税制が生んだ「空き家を解体できないジレンマ」も大きく立ちはだかっていました。

    更地にすると増税?!

    私は知らなかったのですが、空き家を解体し、更地にすると固定資産税が高くなるんだそうです。 これについて調べたところ、住宅が建っていれば「住宅用地の特例」により、土地にかかる固定資産税が最大で6分の1にまで軽減されるとのこと。逆に言えば、家を解体して更地にした途端、この特例が外れ、税負担が急増してしまうのです。

    「どんなボロ屋でも、残しておいたほうが税金は安く済む」

    支援者の方が教えてくれたこのことは、悲しいかな、経済合理性の観点からは正解だったのです。 (※管理不全空き家に対する特例解除の動きもありますが、多くの所有者が費用と税負担の板挟みになっています。)

    英国に学ぶ「資産」としての家

    一方で、市場に目を向けると、1000万円以下で建てられる低コストな新築一戸建てが若い世代に人気です。古い建物をリフォームしようとすると、かえって新築よりも高くついてしまうことさえあります。ここにも、制度と需要の大きな歪みがあります。

    英国には「プロパティ・ラダー(資産の梯子)」という言葉があり、古くなった家をリフォームしながら住み継ぎ、資産価値を高めていく文化が根付いています。ハウスメーカーによる「スクラップ・アンド・ビルド」方式の効率的な建築がもてはやされ、職人の大工さんによる「直して使う」という貴重な技術が失われつつある日本。それとは対極的に、英国では若い大工さんや設備屋さんが活躍し、また夜の飲み屋でも存在感を示していることが在英時代の印象として強く残っています。

    さらに言えば、空き家がある場所には、既に水道や電気などのインフラが整っています。それなのに、わざわざ田んぼを潰して新しい住宅地を作り、そこにまた新しいインフラを敷設する。人口が減っていく中でこれを行えば、社会全体の維持費はかさむ一方です。

    かつての牛小屋が、あんなにも素敵な交流の場に生まれ変わる。その可能性を目の当たりにし、お話を聞いた今日だからこそ、今の制度の硬直さがもどかしくてなりません。

    新築偏重の社会から、あるものを活かす社会へ。今回の支援者の方のような素晴らしいリフォームが、特別なことではなく、当たり前の選択肢として選ばれるような。そんな、うまい制度を設計できないか、強く考えさせられる訪問となりました。

About Me

塩入友広【しおいり・ともひろ】
SHIOIRI Tomohiro
元・工作機械メーカー電気制御設計
活性化で価値向上!

・第二種電気工事士
・第三級アマチュア無線技士
・防災士
・放送大学全科履修生(2023-)
・上田市遺族会西塩田支部長
・元上田市消防団第十六分団副分団長
・元上田市消防団音楽隊副隊長
・元塩田公民館手塚分館長
・元手塚青少年健全育成会長

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しおいり せんきょ

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