テスト
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朝の交差点にて。
「辻立ち」が、私に教えてくれた大切なこと。
辻立ちで得た気づき
これまで、選挙前のいわゆる「辻立ち」に対して、私は正直に申し上げて、それほど大きな意味を感じていたわけではありませんでした。
しかし、実際に場所を変え、一つの交差点に1時間半立ち続けてみると、車の中からでは決して見えてこない、地域の鼓動を感じることができました。
想像していなかった「クルマの流れ」
先日立っていたのは、舞田の変則的な五叉路です。

舞田交差点 ここで驚いたのは、私が想像していなかったクルマの流れです。
まず、この写真の左上から交差点へ入ったクルマが鋭角に右折し、そのすぐ先で左折、下方向へ抜けるクルマ。どうやら、工業団地や隣の市へ通勤するための動線となっているようです。
次に、右から入ってきたクルマが、交差点を鋭角で右折、右上へ抜けるクルマ。画面の右上から左下への通りは別所街道と呼ばれる幹線ですが、考えてみると、近くにはショートカットがありません。
つまり、かなりの鋭角を曲がらなくてはならないルートを通る車がとても多かったのです。
この複雑な交差点は、子どもたちの通学路でもあります。
危険な場所であることを子どもたちはよく理解しており、要領を得た様子で、実にしっかりと安全確認をしながら歩いています。それでも、やはり親御さんの心配は尽きないのでしょう。家族の車で送ってもらう児童・生徒の姿も目立ちました。
安心が「歩く」という選択肢を作る
一昨日からは、また別の交差点に立っています。そこには、子どもたちを見守る「おじさん」がいらっしゃいました。
私が子どもの頃には、どの交差点にも「緑のおばさん」がいて、黄色い旗に守られながら学校へ通ったものです。
お話を伺うと、この方が見守りを始めてから、自家用車での送迎ではなく、歩いて通う児童が増えたのだそうです。
「誰かが見守ってくれている」という安心の担保があれば、親御さんも「歩いて行かせよう」と思える。地域の方のちょっとした協力や関わりが、人々の暮らしの習慣や、街の風景を変えていく。そのことを肌で感じました。
交通災害から、歩行者を守りたい
朝の1時間半、交差点に立つことを、ただ顔を売るだけの活動とはしたくありませんでした。
鋭角なカーブを曲がる通勤車両の多さ、子どもたちの健気な足取り、そして地域を支える見守りの手。これらを知らずして、この街のインフラや教育を語ることはできないと痛感しています。これからも、現場で見つけた「気づき」を大切に、皆さんの暮らしに根ざした活動を続けてまいります。
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沖縄から届いた一通の便り
JYMA 日本青年遺骨収集団をご存知ですか?
一通のはがきが届きました。消印は沖縄、糸満。差出人は、日本青年遺骨収集団(JYMA)の一員として活動している大学生のSさんです。
そこには2月9日から18日までの間、沖縄県糸満市の山城海岸とアバタガマにて戦没者の遺骨収集に従事しているという報告が記されていました。私がサイパンとペリリューでの遺骨収集に参加した際も、JYMAのメンバーと一緒に作業をさせていただきました。それ以前は、このような団体のあることを私も知らなかったのですが、定期的に送っていただく会報で知る彼らの行動には心から敬意を感じています。

JYMA日本青年遺骨収集団の会報「遺烈」と、先日届いたはがき 「国の責務」と若い力
戦後80年を経過した今も、かつての戦地には多くの兵士が眠ったままになっています。国は遺骨の収集を「国の責務」と位置づけ、現在も国内外で多くの活動が展開されています。
私は日本遺族会からの派遣として遺骨収集にあたっていますが、会員の高齢化が進み、活動の継承が大きな課題となっています。日本遺族会の会員数は、平成初期にはまだ100万世帯を超えていましたが、令和が始まった2019年には約57万世帯、そして昨年には約35万世帯へと急減しています。
未来へ託す「人生の証」
戦争の記憶が風化していくことが懸念される中で、Sさんのような若い世代が、遺族と同じ、あるいはそれ以上に高い意識を持って活動している事実は、私たちにとって大きな希望です。
彼らが土の中から探し出すのは、単なる歴史の断片ではありません。かつてこの国に生きた、一人ひとりの「人生の証」そのものです。
一通のはがきを手にし、私も思いを新たにしました。彼らが繋ごうとしているその志を受け止め、私もこの上田の地で、戦争の記憶や地域の歴史を次の世代へと繋ぐ役割を果たしていきたいと考えています。
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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地域の熱気、「無尽」の力
無尽での対話から気づきを得た、持続可能な地域防災へのヒント
朝の明るさと日中の暖かさに確実な春の到来を感じます。花粉症も始まったかな?
読者のみなさま、お変わりありませんでしょうか。地域の熱気、「無尽」の力
昨夜は後援会長さんに誘っていただき、会長が参加されている「無尽(むじん)」にお邪魔しました。
「無尽」と聞いても馴染みのない方がいらっしゃるかもしれませんが、ここ上田市では今も盛んな、仲間内での定期的な集まり(飲み会)のことです。私自身も一つの無尽に参加していますが、年齢や職業の枠を超えた「本音の対話」ができるこの場は、私が政治を志す大きな原動力となっています。
初対面の私を温かく迎えてくださった昨日の無尽でも、お酒の席だからこそ語られる「地域の切実な課題」に触れることができました。

「形骸化」という静かな危機
私がまちづくり協議会の防災安全部会メンバーであり、防災士、そして消防団員OBであるという経歴から、話は自然と地域の安全を守る「消防団」と「自主防災組織」のあり方へと広がりました。
いま、消防団は団員確保に非常に苦慮しています。遠距離通勤のサラリーマンが増え、いざという時に駆けつけるのが難しい実情があります。仕事や生活環境の変化により、制度としての枠組みと実際の活動を両立させることが年々難しくなっている、という現場の切実な悩みを改めて伺いました。
一方で、自治会による「自主防災組織」にも別の根深い課題があります。
毎年、自治会の役員が「防災リーダー講習会」に参加し、組織図を提出しますが、その多くは充て職(あてしょく)です。名簿に名前が載るだけで、具体的な役割が伴わない、もしくは指示されないケースも少なくありません。その結果、「名前だけ貸している」という状態になり、いざという時の責任感や当事者意識が育ちにくい構造になっています。
発想を転換し、持続可能な仕組みのアイディア
この「名簿だけの組織」を、どうすれば「命を守る組織」に変えられるのか。
今回、無尽の席でお聞きした「消防団の機能を自主防災組織へ組み入れてはどうか」という提案は、制度をうまく設計することができれば、山間部の集落には理想的な解決策となりそうです。
ふだん地域に在宅し、地理や世帯事情も熟知している自主防災組織が、消防団の役割の一部を担い、日常的に訓練を行う。そして、責任ある活動に対してはしっかりと報酬で報いる。
「なり手不足」の消防団と、「形骸化」の懸念がある自主防災組織。この二つを統合・再編することで、持続可能な地域防災のモデルが築けるのではないか——。
教科書通りの政策ではなく、こうした地域の車座から生まれる「現場の知恵」こそが、上田市の未来を切り拓く鍵になると確信しています。
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独鈷山がつなぐ縁と、平和への思い
「しおいり通信」を熱心に読んでくださっている方と偶然お会いした話
しばらく間をあけてしまいました。
寒い日が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。思わぬ場所で「読者」との出会い
近所の集落を一軒ずつ訪ね、お話を伺う活動を続けています。先日、あるお宅を伺った際、嬉しい驚きがありました。なんと、この「しおいり通信」を読んでくださっている方と巡り合ったのです。
農業関連の用務で最近ご縁をいただいたばかりの方なのですが、私の発信に深く共感してくださっており、「ぜひ応援したい」と満面の笑みで迎えてくださいました。 驚いたことに、その方も私に「もっとリーフレットを預かりたい」と連絡をとろうとした矢先だったとのこと。あまりに嬉しいタイミングの良さに、二人で顔を見合わせて驚いてしまいました。
小説『独鈷山』 映画化への情熱
小説「独鈷山」という作品をご存知でしょうか。西塩田、東前山のご出身である黒坂正文さん(コカリナ奏者・黒坂黒太郎さん)の著書で、私たちの住む西塩田の、少年たちの暮らしを鮮明に描いた作品です。正直に白状しますと、実は、この本を実際に購入し、読み始めたのはつい最近のことです。いま、この作品を映画化するプロジェクトが進行しており、この「しおいり通信」の熱心な読者の方は、このプロジェクトを中心で支える仕掛け人の方だったのです。
嬉しい再会と、心揺さぶる音色
この出会いには、さらに驚く続きがありました。 週末に参加した「上田郷友会」の月例会。会場へ着くと、そこにはその「仕掛け人」の方の姿がありました。手には私のリーフレットを持って。
すごくびっくりしてしまったのですが、今回の月例会の講師は小説「独鈷山」の著者で、オカリナ奏者の黒坂黒太郎さんであったことを私はすっかり忘れていたのです。

黒坂正文さん(オカリナ奏者、黒坂黒太郎さん)によるご講話 「コカリナ」は、自然の木から削り出して作られます。長野オリンピックの会場整備に伴い伐採された木からコカリナを製作し、オリンピック表彰式で児童とともに演奏されたことで一躍有名となりました。他には、火災で消失した小学校の焼け残りから作られたコカリナ、戦争が終わったことを知らぬまま元兵士が2年も樹上で生活したガジュマルの木から作られたコカリナ、さまざまな経緯をもったコカリナのお話を聞かせていただきました。
平和のコカリナ。平和を語り継ぐ貴重なツール。
特に心に響いたのは、広島で原爆の火に焼かれながらも生き抜いた木から作られた、「被爆樹コカリナ」の音色です。木が記憶する歴史を奏でるようなその澄んだ響きは、静かに、しかし力強く平和の尊さを訴えかけてくるようでした。
私はこれまで、遺族会の活動や招魂社での務めを通じて、戦争の記憶を風化させず、平和への願いを次世代へ語り継ぐことの大切さを感じてきました。西塩田の風景を描く映画化プロジェクトの話から、平和を願うコカリナの調べに触れたことで、改めて自分の使命を再確認いたしました。この美しい西塩田の暮らしを守り、平和を語り継いでいくために、今の活動をより一層、力強く続けていく決意です。
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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鏡越しの会話。別所温泉と塩田のこれから。
25年後のまちづくりに必要な「回路」の話
床屋さんでの会話から
先日、ポスター用の写真撮影を前に、いつもの床屋さんに足を運びました。そこで偶然、隣り合わせたのは地元の温泉旅館を経営する社長さん。鏡越しにうかがったお話しの中に、私の知らない現場の切実な思いと歪みを突きつけられました。
一つは、私たちが温泉を利用する際に納める「入湯税」のあり方です。制度上は、温泉地の環境整備や観光振興のために使い道が定められた「目的税」であるはずが、実態としては一般財源のように扱われ、温泉の維持管理といった、肝心の現場へ還元されることはない、といったお話しでした。徴収する側の理屈と、現場を守る側の苦渋。その乖離は、想像以上に深いものでした。
エンジニアの目から見た「欠陥サイクル」
さらに重く響いたのは、市政のあらゆる場面でPDCAのサイクルが回っていない、という指摘です。計画(P)を立て、実行(D)はする。しかし、それがどのような成果を上げたのかを検証(C)し、次の改善(A)へと繋げるプロセスが抜け落ちている。いわば「やりっぱなし」の連鎖です。
工作機械の制御設御に携わってきた私にとって、フィードバックのないサイクルはシステムの破綻を意味します。不具合があれば原因を特定し、回路を修正する。その当たり前のプロセスが行政の現場で機能していないことが、今の閉塞感を生んでいるのではないか。そう感じずにはいられませんでした。
「ゆっくりとした死」か、それとも「再生」か
ゆっくり死んでいく都市は、その変化が緩やかだから誰も気づかないのだという示唆もありました。新幹線が開通して以降、便利さの裏側で、上田のまちは少しずつ、確実に活力を削ぎ落とされてきた停滞の27年だったのではないか。新幹線により、かつての賑わいを奪われた小諸市が、今、その地形を逆手に取った「坂のまち」として独自の個性を放ち始めているのとは対照的です。
私が生まれた昭和44年(1969年)は、戦後から25年ほど経った頃でした。あの頃の25年は、まさに無からの劇的な復興と変化の時代でした。現在から25年後、このまちはどうなっているでしょうか。
山田の景色と、これからの25年
今日、西塩田の山田地区を歩きました。思わず足が止まるほどの美しい見晴らし。その一方で、静かに増え続ける空き家。この勿体ないほどのコントラストが、今の地元のリアルです。 農作業中にお話を伺った方は震災を機にこの地で暮らすようになり、ようやく最近になって住所を移されたそうです。




別所温泉と塩田。この愛すべき地元が、ただ静かに消えていくのを待つだけの場所であってはなりません。私は決して傍観者ではなく、一人の当事者として、システムの不具合を正し、25年後も誇れる景色を残していきたい。この地で活躍している人や団体を横断的に繋ぐ緯糸(よこいと)としての機能を担っていきたい。改めてその確かな決意を胸に、明日も歩いてまいります。
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今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました! -
企業城下町という価値を考える
隣の芝は青く見える。芝は勝手には生えてこない。手入れも必要。
農村にあるグローバル本社
ミシン針の世界シェアトップ、オルガン針株式会社さんの本社は私が暮らす西塩田にあります。
一昨日、とある会合に参加しました。出席者5人というこぢんまりとした飲み会でしたが、私以外の4人は皆、オルガン針さんに縁のある方々。知らなかったのですが、その先輩の方々は海外の工場の立ち上げや市場調査など、豊富な海外経験をお持ちでした。
1970年代に九州へ新工場ができた際には、現地から研修に来た方が西塩田の女性と巡り会い、婿入りされるケースも多かったようです。実際、ご近所にも何組かいらっしゃいます。かつて農村であったこの地にグローバル企業の本社があるということ。そのことが、地域に広い視野と人の流れをもたらしていたことを実感する夜でした。
団塊の世代が支えた地域の熱量
往時の地域の賑わいについても話が及びました。通勤時間帯には路線バスが数珠つなぎに行き交い、最盛期には1000人を超える地元の人が勤務していたそうです。会社で腕を磨いた職人さんが独立し、あちこちに協力工場が生まれました。
バリバリ働いた団塊の世代の方々は、地域の行事でもその力を発揮されていました。職場の仲間との阿吽の呼吸で、地域の運動会やお祭りを運営する。しかし今、どの地区でも運動会は行われなくなりました。老舗食堂の閉店や、地域のイベントの縮小を目にするたび、かつて地域を支えていた世代の偉大さと、かつての西塩田の元気が失われていく寂しさを感じずにはいられません。
若者が地元で働けない、という現実
私自身は高卒で市内の工作機械メーカーに入社し、昨年末に退職しました。工作機械もまた、裾野の広い産業です。かつては近所に多くの協力工場がありました。
しかし、私が政治を志す大きなきっかけとなった出来事があります。私の家のすぐ近くに住む、工業高校の後輩にあたる若者が、私が勤めていた会社へ新卒で入社してきました。喜ばしいことである反面、私はショックを受けました。私の勤め先は、今では上田を離れた場所にあります。上田には、彼の知識や技能を活かせる勤め先がないのか。福利厚生が厚く、技術も磨ける。そんな魅力的な企業が地元にあれば、彼は長い通勤時間をかけず、もっと豊かな時間を過ごせたかもしれないのです。
企業城下町を再び。25年先を見据えて
私の妻は茨城県日立市の出身です。義父は日立製作所で長く働き、義弟も関連会社に勤めています。地域に核となる企業が存在し、雇用と経済を支える企業城下町。これを幸運と捉えるか、政治と地域の働きかけで実現可能な構想と捉えるかで、未来は大きく変わります。
長距離通勤や遠隔地との取引を減らし、地元で働き地元で生産することは、CO2削減という観点からも理にかなっています。かつてのような活気を取り戻すことは、夢物語でしょうか。25年先のあるべき姿として、再びこの地に力強い企業城下町を築く。そのために、市政が明確な目標を持って企業誘致や産業支援に取り組むべきだと、私は強く思うのです。
***
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
寒い日が続きますが、どうか暖かくしてお過ごしください。 -
地域を歩いて見えた、「暮らし」の現在地
知ってはいても、感じたことのなかった世界の話
昨年末に会社を辞め、通勤のない生活が始まって3週間が経ちました。通勤に使っていた時間がまるごと自分のものになるかと思いきや、自治会やまちづくり協議会、そして新しい仕事への準備と、思いのほか慌ただしい日々を過ごしています。
そんな中、住宅地図を片手に近所を歩き、これまで接点のなかった方々とお話しする時間を作っています。西塩田、手塚という同じ地域に住んでいながら、お顔とお名前が一致しない方、初めて言葉を交わす方がこれほど多いことに驚いています。
見えてきた「日中独居」と、地域の温かさ
平日の日中、家族が仕事に出ている間、高齢者のみで過ごされている世帯が多いことは知っていましたが、実際に歩いてみるとその多さを肌で感じます。統計によれば、現在65歳以上の高齢者がいる世帯のうち、半数以上が「単独世帯」か「夫婦のみ」だそうです。三世代同居が当たり前だった時代から、家族の形は大きく変わりました。
あるお宅でお話を伺うと、私が消防団にいた頃の先輩のご実家でした。その先輩は毎朝、出勤前にご実家の様子を見に来ているそうです。「鍵を開けるために寒い中、玄関まで出なきゃいけないから困るんだよ」と、その方はなかば冗談めかしながら、しかしとても嬉しそうに話してくださいました。
この集落のお年寄りは、お年のわりにお元気な方が多い印象です。家の中での移動に歩行器を使われている方もいらっしゃいますが、耳が遠くて会話が難しいという方には一人もお会いしませんでした。聞けば、ご近所同士でお茶を飲んだり、頻繁に行き来があるとのこと。こうした日常のコミュニケーションが、心身の健康を支えているのかもしれません。
「孤独死」の現実と、現場の対応力
一方で、昨日ある自治会長さんから伺った孤独死の話は、地域のもう一つの現実を突きつけるものでした。新聞が2日分たまり、夜も電気が点いたままになっていることに近所の方が気づき、発覚したそうです。マニュアル化などされていない有事の事態に対し、その自治会長さんが臨機応変に、かつ責任を持って対応された様子を伺い、その役割の重さと行動力に深く感銘を受けました。
これからの「幸せな暮らし」を考える
会社という組織を離れ、地域を歩くことで、「高齢化社会」という言葉の本当の意味を実体験として突きつけられています。核家族化はすでに文化として定着し、すぐに時計の針を戻すことはできません。平均寿命が延びたことで、退職後の人生はかつてより遥かに長くなっています。
かつて家族が同居し、家庭内で完結していた互助の機能が薄れた分、それを補うための社会保障コストは増大し続けています。日本の社会保障給付費は、平成2年度の約47兆円から、令和4年度には約134兆円へと、この30年余りで3倍近くに膨れ上がっているといいます。家族で支え合っていた時代には発生しなかったコストが社会全体にのしかかっている、それが現代の生きづらさの一端にあるのかもしれません。
しかし、制度やお金の問題以前に、私たち一人ひとりの「生活に対する考え方」や「近所との関わり方」ひとつで変えられるようにも感じます。誰もが取り残されず、幸せに暮らせるヒントは「お茶飲み話」のような関係性の中にあるのではないか。そんなことを考えながら、私が暮らしている地域を歩いています。
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母と祖母の話を聞く
戦中〜戦後を生きた女性たちの話
昨日と一昨日は、母が生まれ育ったまちの方々とじっくりお話しする機会に恵まれました。中学時代の同級生や幼馴染、いとこなど、母をよく知る方々から、これまで聞いたことのなかった「母の物語」を伺うことができました。
戦中生まれの母。戦後間もない混乱期を生きてきました。今では耳にすることの少なくなった「母子寮」という言葉や、戦争未亡人が珍しくなかった当時の社会情勢。現代より不自由な時代だったかもしれませんが、「みんな一生懸命で、心は豊かだった」という言葉が印象的でした。
裁縫を家業とする塩入家へ嫁ぐにあたり、母は市内の仕立て屋さんで裁断の修行も積んだそうです。その後、結婚して東京の洋裁店で働くようになると営業もこなすように。飛び込みで入ったクラブのママのために仕立てた一着が評判となり、そこから口コミでお得意先が増え、大いに繁盛したのだと聞きました。
母方の祖母は、初孫である私をその手に抱いた数カ月後に亡くなってしまいますが、やはり働き者のかあちゃんとして慕われていました。まさに家族のため身を粉にして働いたひとだったのだと思います。
父方の祖母の話にも及びました。戦争未亡人であった祖母は、東京を焼け出された塩入一家を西塩田、手塚の実家に招き入れてくれた、塩入家にとっての大恩人です。まちの食料品店で魚売りとして働いていた祖母の姿は、私の幼心にも懐かしい記憶として残っています。
今回は何だかまとまりのない話になってしまいましたが、いろいろな方からこのようなお話を伺えたことがとても嬉しく、書き残しておきたかったのです。お目汚し失礼いたしました。
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「入所待機問題」を知る
ひとと話して、初めて認識した極めて深刻な問題
工作機械メーカーで技術屋さんをやっていたときは、自身の経験をもとに積み上げてきた知見から、装置や機器の仕様に対して適用可能な解決策を検討し、実装する仕事をしていました。それが「経験バイアス」と言われようが、実体験に勝る知見はないと信じ、根拠のある自信として、解決策を半ば強引に提案することもありました。
しかし、これから携わろうとしている分野においては、圧倒的に知見が不足していることを今日も実感しました。生成AIのおかげで、不足した知識を付け焼き刃的に補うことは可能となっていますが、人との会話の中でそれが露呈してしまう場合は、素直に勉強不足を告白し、課題として持ち帰らせていただくことにしています。
特別養護老人ホームの入所待機問題
今日、お話しをさせていただいたある方のご主人は、認知症を患い現在は施設へ入所されているとのことでした。なんでも「空きが無い」とのことで、隣の市にある施設への入所を余儀なくされており、顔を見に行くことも難しいとのことでした。「近くの施設へ入ることができたらいいのに」というその方の切実な声を聞き、問題の深刻さを初めて認識しました。
入所を待っている人の数は、10人や20人ではありません。ひとつの施設あたり、100人から200人もの方が待機しているようです。この中には、複数の施設へ重複して申し込みをしている方や、将来のために予約的に登録している方も含まれるとのことですが、それにしても需要と供給のバランスが合っていないように感じました。
人材不足への対応はどうすれば?
現在の状況を生成AIにたずねると、次のような回答が返ってきました。
- 賃金を上げたいが、国民の保険料負担が増えるので上げられない。
- 外国人を呼びたいが、円安などで選ばれなくなっている。
- 人手が足りないので、今いる職員の負担が増してさらに辞めていく。
この「三すくみ」とも言える八方塞がりの状況を打破する特効薬はなさそうです。しかし、だからといって手をこまねいているわけにはいきません。私たちに何かできることがあればやってみたいです。
地域包括ケアシステムの構築
施設が満杯なら、住み慣れた自宅や地域で、医療・介護・生活支援を一体的に受けられる仕組みを強化するしかありません。これは行政任せにせず、近隣の見守りやゴミ出し支援といった、地縁団体での互助が必要不可欠です。もちろん、住民の善意だけに頼るのではなく、そこに行政のしっかりとしたバックアップがあって初めて機能するものだと考えます。この分野に携わる知人もいるので、いちど話を聞いてみます。
フレイル(虚弱)予防
そもそも介護を必要としない、あるいは必要となる時期を少しでも遅らせるための「健康な体づくり」ができれば、元気な高齢者がそのまま地域の担い手となり、支える側へと回ることができます。 実際に、こうした活動に積極的な先輩がおり、改めてその方の功績を認識するところです。
では、私に何ができるか
工作機械メーカーのエンジニアとして、私は「現場の実体験」を何より大切にしてきました。これから挑戦しようとしている新しい分野においても、机上の空論ではなく、実際に地域の体操教室に参加したり、自治会が行う独居世帯の見守り活動に関わることで、現場の「生きたデータ」を肌で感じたいと考えています。
ここ西塩田の手塚に展開されている支え合いの仕組みと、健康づくりの活動は、私にとってまさに「生きた教材」です。
About Me
塩入友広【しおいり・ともひろ】
SHIOIRI Tomohiro
元・工作機械メーカー電気制御設計
活性化で価値向上!
・第二種電気工事士
・第三級アマチュア無線技士
・防災士
・放送大学全科履修生(2023-)
・上田市遺族会西塩田支部長
・元上田市消防団第十六分団副分団長
・元上田市消防団音楽隊副隊長
・元塩田公民館手塚分館長
・元手塚青少年健全育成会長
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