良いお年を

2020年もお終い。まさか大晦日に新規感染者数が最も多くなるとは。一日も早く終息することを祈りながら今日も眠りにつきます。おやすみなさい。一年間ごちそうさまでした。

ここ数日のごはん


ボーナス支給日。大叔母さんから送ってもらったハムを2cm厚に切って。それと長芋。アイスバインも。お昼はりんごサービス。


お歳暮の注文でアリオ。そのあときびやでチキン南蛮。チキ南亭は9月末に閉店していました。残念。


お昼は鶏あんかけうどん。夕飯にはメヒカリの唐揚げ。ごちそうさまでした〜


この日は桂でラッパOB会。たまたま午前中のテレビで桂が紹介され、鶏せせりの鉄板焼きが紹介されていので解散後に運転手の妻と。お昼は八木沢のうちからもらった冷凍ちまき、中国製。これがお肉ゴロゴロでたいへんおいしかった。ごちそうさまでした〜


御代田やなぎやで駐在仲間の壮行会。前回はひとり8000円もかかったが今回は3000円とエコノミー。焼酎なら安い。
上田へ帰って、お迎えまでの時間つぶしのつもりが…。僕以外のお客さん7人みんな女性。むかし職場で一緒だったM井さんと12年ぶり?の再会。カウンターにはひかるさんとかつえさん。運転手の妻も一緒になって長居してしまいました。


栗ぱい👍👍👍


柿ぷりん👍👍👍


以上、まとめ更新でした。ごちそうさまでした〜

手塚歴史倶楽部、はじめました。

上田アドベント2020参加投稿

おいでよ西塩田の中の人、しおいりです。
テーマが「ふりかえり/やりたいこと」ということで、いろいろと考えていたんですが、上田に関することならなんでもOK!と敷居が下がっていたんですね、いつの間に!


上田市武石上本入美ヶ原高原より撮影。だいたい写ってるところみんな上田。大きいなぁ。画面ほぼ中央に聳えますは独鈷山、左端に女神岳。そのふもとに我が家があります。


逆から、女神岳を背に独鈷山を収めるとこんな感じ。150mまで上げてみましたが、それでも我が家から美ヶ原は望めませんでした。動画はこちら https://youtu.be/ok-3pVVvTEg

それぞれ特色のある「まち」「むら」をみんな一緒くたに「上田市」というくくりで情報発信することはとても難しいことだと思うし、アレもコレもになっちゃうと魅力も薄くなってしまいそう。同じ上田市の中でも、あそこに行けばあれが買える、珍しいものが食べられる、そこでは快適に暮らすことができる、そんな「まち」「むら」単位の価値を上げていくことが大事なのではないかなぁ、新しい価値をこれから作るのはしんどいけど、伸びしろのありそうな地域の価値、どんなものがあるのか知ることをも大事だよなぁ、と日々考えながら、この西塩田、手塚の地に暮らしています。

その手塚というところですが、けっこう昔から人が暮らす村だったようで、石仏や由緒のある石碑などもあちこちで見ることができます。この地区の公民館では年に一度「ふるさと学習会」を開催していますが、2019年に私が公民館長を務めたとき、石にフォーカスした「手塚の石めぐり」を企画しました。消防団や公民館の活動には積極的に参加し、地域のことはいろいろ知っているほうだと自分では思っていたのに、知らないことが実はいっぱいあるなぁということにそのとき気付かされました。そこで今年、2020年は一念発起、公民館のクラブ活動として「手塚歴史倶楽部」を立ち上げ、古老から聞き取り調査、実地踏査、まとめ資料作成、そんなことを始めました。


手塚はとても雨の少ないところで、昔から稲作には苦労してきそうです。今まで、近所の田んぼにどこから水がきているのか意識したことがなかったのですが、川のだいぶ上流から農業用水を引いてきていることを知りました。この水路は新堰(しんせんげ)と呼ばれ、享保3年(1718年)に造られたと記録に残されています。


昭和13年(1938年)にはその上流に農業用貯水池「沢山池」ができ、より多くの水源が確保できたことから、手塚のお隣、山田までの延長が図られ、同19年(1944年)に完成しています。途中の2箇所はトンネルで抜けていることを今回初めて知り、とても驚きました。採水地からの総延長約3.7キロを標高差約37メートルというゆるやかな勾配で精密に造られていました。


水路を少し離れ、今は行き交う人もない旧道へ入ると、このような大日如来像を見ることができます。これらは前年の企画「手塚の石めぐり」の取材では出てこなかった石仏で、まだ他にもありそうです。


こちらは鞍が淵というところの近くにある石造物で、恐らく雪で崩れそのままになっている水神様と考えられています。案内してくれた方の話では、少なくとも60年くらい前には既にこの状態だったそうです。


今回の踏査で、屋根部分とセットと思われる部分を見つけてしまいました。案内してくれた方も驚きの発見。近くには本体と柱があるかもしれないので、来年2021年には探してみたいと考えています。

平成25年(2013年)には「手塚誌」という立派な本になっていろいろ昔のことが記録されてはいますが、そこに記録されていないこともいろいろあるみたい。そういった歴史の隙間をほじくり出して、記録して紙に残していくことを手塚歴史倶楽部では続けていきたいと考えています。

以上、2020年のふりかえりと、2021年にやってみたいこと、でした!

(久しぶりにブログらしいブログ書いてみたけど、やっぱり楽しいねぇ。)