手塚歴史倶楽部、はじめました。

上田アドベント2020参加投稿

おいでよ西塩田の中の人、しおいりです。
テーマが「ふりかえり/やりたいこと」ということで、いろいろと考えていたんですが、上田に関することならなんでもOK!と敷居が下がっていたんですね、いつの間に!


上田市武石上本入美ヶ原高原より撮影。だいたい写ってるところみんな上田。大きいなぁ。画面ほぼ中央に聳えますは独鈷山、左端に女神岳。そのふもとに我が家があります。


逆から、女神岳を背に独鈷山を収めるとこんな感じ。150mまで上げてみましたが、それでも我が家から美ヶ原は望めませんでした。動画はこちら https://youtu.be/ok-3pVVvTEg

それぞれ特色のある「まち」「むら」をみんな一緒くたに「上田市」というくくりで情報発信することはとても難しいことだと思うし、アレもコレもになっちゃうと魅力も薄くなってしまいそう。同じ上田市の中でも、あそこに行けばあれが買える、珍しいものが食べられる、そこでは快適に暮らすことができる、そんな「まち」「むら」単位の価値を上げていくことが大事なのではないかなぁ、新しい価値をこれから作るのはしんどいけど、伸びしろのありそうな地域の価値、どんなものがあるのか知ることをも大事だよなぁ、と日々考えながら、この西塩田、手塚の地に暮らしています。

その手塚というところですが、けっこう昔から人が暮らす村だったようで、石仏や由緒のある石碑などもあちこちで見ることができます。この地区の公民館では年に一度「ふるさと学習会」を開催していますが、2019年に私が公民館長を務めたとき、石にフォーカスした「手塚の石めぐり」を企画しました。消防団や公民館の活動には積極的に参加し、地域のことはいろいろ知っているほうだと自分では思っていたのに、知らないことが実はいっぱいあるなぁということにそのとき気付かされました。そこで今年、2020年は一念発起、公民館のクラブ活動として「手塚歴史倶楽部」を立ち上げ、古老から聞き取り調査、実地踏査、まとめ資料作成、そんなことを始めました。


手塚はとても雨の少ないところで、昔から稲作には苦労してきそうです。今まで、近所の田んぼにどこから水がきているのか意識したことがなかったのですが、川のだいぶ上流から農業用水を引いてきていることを知りました。この水路は新堰(しんせんげ)と呼ばれ、享保3年(1718年)に造られたと記録に残されています。


昭和13年(1938年)にはその上流に農業用貯水池「沢山池」ができ、より多くの水源が確保できたことから、手塚のお隣、山田までの延長が図られ、同19年(1944年)に完成しています。途中の2箇所はトンネルで抜けていることを今回初めて知り、とても驚きました。採水地からの総延長約3.7キロを標高差約37メートルというゆるやかな勾配で精密に造られていました。


水路を少し離れ、今は行き交う人もない旧道へ入ると、このような大日如来像を見ることができます。これらは前年の企画「手塚の石めぐり」の取材では出てこなかった石仏で、まだ他にもありそうです。


こちらは鞍が淵というところの近くにある石造物で、恐らく雪で崩れそのままになっている水神様と考えられています。案内してくれた方の話では、少なくとも60年くらい前には既にこの状態だったそうです。


今回の踏査で、屋根部分とセットと思われる部分を見つけてしまいました。案内してくれた方も驚きの発見。近くには本体と柱があるかもしれないので、来年2021年には探してみたいと考えています。

平成25年(2013年)には「手塚誌」という立派な本になっていろいろ昔のことが記録されてはいますが、そこに記録されていないこともいろいろあるみたい。そういった歴史の隙間をほじくり出して、記録して紙に残していくことを手塚歴史倶楽部では続けていきたいと考えています。

以上、2020年のふりかえりと、2021年にやってみたいこと、でした!

(久しぶりにブログらしいブログ書いてみたけど、やっぱり楽しいねぇ。)

手塚歴史倶楽部、はじめました。” への2件のフィードバック

  1. 手塚は母方の実家で、皆が元気な頃は盆と正月遊びに行っていました。金魚すくいをやるとの事で公民館に集まり、長々と待たされやっと出来たのが1番の思い出です。最近はあなたのご投稿で、西沢商店さんの松茸ごはんを買いに、西沢さんがご健在なのも嬉しかった。昔は花火しか買った覚えが無かった(^_^;)

    Twitterハンドルネーム kakkaより。

  2. kakkaさまにとっても大事な思い出の場所、いつまでも明るく笑顔のあるまちにしていきたいです。コメントありがとうございます。

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